やさぐれオヤジの四国遍路の旅

還暦を前にしたオヤジの、四国88ヶ所歩き遍路の旅日記です。

遍路47日目 帰福(最終回)

2022年11月2日(水) 天気 晴

朝6時過ぎに目が覚めた。昨夜は晩御飯を食べ腹一杯になったまま寝落ちしてしまった。船室は携帯の電波も入らないし、無料WI-FIも10分しか使えないので何もする事がない。朝食は6:40からなので、それまで船室を出て携帯の電波が届く展望ラウンジで時間を潰す事にした。

6:40になったのでレストランに行き朝食を食べる。今度は取りすぎないよう注意して皿に盛りテーブルにつく。どうやらこの遍路の旅で胃袋が小さくなったようだ。ちょっと少な目に取った量が丁度良い量だった。

朝食を食べ終わるともうする事がないので、荷物を纏めまた電波の繋がる展望ラウンジに行き新門司港到着迄時間を潰す。フェリーの旅はのんびりして良いが、ネット環境が今ひとつなのがネックだ。

予定通り8:30に新門司港に到着した。ターミナルの前には小倉駅行きの連絡バスが2台待機していた。先頭のバスに乗り込み小倉駅迄行き、JRに乗り換え自宅に帰る。小倉駅行きのバスの中で来春遍路に行きたいと準備している男性に声をかけられる。バックに同行二人の笠を付けているのを見かけ遍路帰りの人ではないかと思い声をかけてきたそうだ。宿の取り方や遍路グッズの購入方法など具体的な質問に答えているうちに小倉駅に到着した。3月から徳島県区切り打ちをするらしいので、頑張って回ってくれればな〜と思う。

小倉駅からはJR鹿児島本線の快速に乗って自宅に帰る。伸びきった無精髭は意外に好評だったが、日常生活には不自由なので綺麗に剃る事にした。のんびり風呂に入り体重を測ってみると、出発前より8Kgも減っていた。88番の大窪寺を打った後は結構ハイカロリーな物を食べていたと思うが、フェリーの中で感じたように胃袋は小さくなっている様で、元の体重に戻るにはもう少し時間がかかりそうだ。このまま胃袋も小さいままだったら、この体重を維持できるかなぁ〜。

でもあっという間の47日間だった。最初は重い荷物も気にせず歩けていたが、室戸岬を回る頃から足にマメができ高知県はマメとの戦いだった。中村の町で不要な物を自宅に送り返し、2Kg程度は軽量化できたと思う。その後は体ができてきたのか軽量化のおかげか、荷物が重いと苦痛に感じる事はなかったが、マメが気にならなくなったのは松山を過ぎてからだった。特に、松山で靴を買い換えた後はマメの心配もなく歩くことができた事が大きい。でも、足の筋肉はかなり無理をしていた様で、家に帰り荷物がない状態で歩くと膝や太腿の筋肉が微妙に歩くリズムについて来ていないのが分かる。

松山以降新しいマメは出来ていないが、それまでマメの出来た所の皮がパリパリになって剥け始めている。一番外側の古くて硬い皮と、2番目3番目の皮、一番内側の皮と足の裏の皮の硬さが違い、歩くと足の裏の皮がつっぱり、大きな絆創膏を貼っている様な感覚だ。

思い返すと苦しかった事が思い出されるが、終わってみるととても充実した日々を過ごせていたと思う。次はもっと時間をかけて、88ヶ所の札所以外にも足を伸ばし四国を満喫したい。今回は中途半端な参拝になった別格20ヶ所周りもしたい。荷物をもっと軽量化し野宿遍路を楽しみたい。そんな思いが強くなっていく。四国病にかかってしまった様だ。

最後に、このblogを読んでくださった方にお礼を言わせていただきたい。個人的に旅日記をつけ記録を残す事と、家族にどの様な遍路生活をしているのかを知らせる事を目的に始めたblogだったが、投稿を続けるうちに800件以上のアクセスを頂いた。拙い文章で非常に読みづらかった事をお詫びすると共に、最後まで読んでいただき大変感謝しています。自分の記録として記載していた目的地・通過地の時間や、野宿場所などの情報が役に立つ事ができれば幸いです。

歩き遍路を暖かく見守りサポートして頂いた四国の方々に感謝をし、このblogを終わらせたいと思います。以上ありがとうございました。

 

本日の歩行距離  2.7Km(4,046歩)

通算の歩行距離  1,290.7Km(1,838,091歩)

 

遍路46日目 帰福

2022年11月1日(火) 天気 雨

やはり今日も朝5時頃目が覚めた。昨夜は20時頃には寝ていたのでこんなものだろう。同宿の男性客は5時頃に出発するように昨晩言っていたが、私が目覚めた後に起きた様で、5時過ぎからゴソゴソ出発準備をする音が聞こえてきて、5:40頃宿を出発して行った。

もう1人の女性客は、丁度彼が出発した後に起きて、直ぐに雨の中出かけて行った。朝一番の奥之院散策にでも行ったのかな〜。私は暇なので二度寝して6:30頃部屋から出てとりあえず荷物をまとめのんびりとしていたら、7時過ぎにオーナーがやってきて予定より早く朝食を作ってくれた。

男性客が5:40頃出て行った事を伝えると、心配そうに「5時前に出発して欲しかったなぁ。今夜次の宿のオーナーから到着したら電話をもらう事になっているが、それまでが心配だ。」と言っていた。過去にも年配のハイカーが無理をして遭難騒ぎになったことも有るらしく、昔取った杵柄で無茶な行程でスケジューリングする高齢者に対し、毎回心配させられるとぼやいていた。

朝食を食べ終わった頃女性客も帰ってきた。彼女も朝食を食べオーナーと話をしている。英語なので全く内容が理解できない。英会話出来る人すげ〜尊敬する。羨ましい〜。

会話にはついていけないので、出発の準備をして8:42のバスに乗るべく支度を済ませた。天気が良ければ高野山駅迄歩いて行くのだが、朝からの雨の中を歩いて行っても楽しく無いので、バスを利用する事にした。

高野山駅からはケーブルカーで極楽橋迄行き、南海電車に乗換え橋本経由で難波に向かった。フェリーターミナルには、天下茶屋で乗り換えた方が早いのだが、時間もあるので、難波でゆっくり昼飯を食べ、フェリーターミナルに向かう事にした。

難波には11時頃に到着。さて何を食べるか?っと考えて頭に浮かんだのは「大阪トンテキ」。確かあそこにあったなぁ〜と、地下街を歩く。まだ昼飯時には早いと思っていたが、店の前にはもう数人並んで入店待ちをしている。順番を待って久々の大阪トンテキを食べる。福岡でも同様の店が出来てきたが、やっぱり元祖大阪トンテキの味は一味違う。お腹いっぱい食べた後少し休んでフェリーターミナルに向かう事にした。大国町まで行き地下鉄に乗り住之江公園で降りて、ここからフェリーターミナル迄は歩いて行く。小雨が降っているが気になる量では無い。ボートレース場の横を通り約1時間歩けばフェリーターミナルに着いた。17時ちょっと前にターミナルに着いた。まだ一便の受付をやっていた。2便の受付は18:30からなので、一旦2階の待合室で時間を過ごす。

18:30になったので1階に降り乗船手続きをする。全国旅行支援の手続きをしてクーポン券を貰い、フェリー会社のカウンターでチェックインする。全国旅行支援の手続きの順番待ちに時間がかかって、結局チェックインできたのは19時頃だった。

2階の待合室に上がりしばらくすると乗船できたので、船内に入り7階の自分の予約した部屋へ荷物を置き夕食会場へ行く。夕食と朝食のセット券が2,150円だったのでクーポン券を2,000円分使いチケットを購入し中に入る。バイキングスタイルの食事だったので、自分の好きな物を取り、外が見えるカウンター席に座り美味しくいただいた。まだ出港前だったので港の風景しか見えないが、外の景色を見ながら食べれるのは気持ちがいい。

食後に売店で残ったクーポン券を使いお土産を買い部屋に戻る。お腹一杯になって転がっていたらいつの間にか寝てしまったようだ。展望浴場に行きそびれた。

 

本日の歩行距離  9.4km(13,485歩)

お参りした札所  なし

遍路45日目 高野山金剛峯寺、奥之院

2022年10月31日(月) 天気 晴

今朝は意識してゆっくり寝ていようと思っていたのに、5時頃に目が覚めた。昨夜は21時前には寝ていたから仕方ないかなぁ。

誰もいないゲストハウスで、朝食を食べのんびり過ごす。今日の予定は、金剛峯寺に行きお参りした後御朱印を頂き、大門経由で女人堂へ行き、奥之院にお参りして御朱印を頂く。途中歩きながら紅葉を楽しむのと、何処かで胡麻豆腐スイーツを食べる事だ。金剛峯寺迄は約30分だから、8時過ぎに宿を出ればいい。朝食後もコーヒーを二杯飲んでまったり過ごす。

8:38宿を出る。朝日が眩しいが、外の空気は少しヒンヤリする。まずは宿から金剛峯寺を目指して歩く。昨夜コンビニに寄って宿まで歩いて来た道だ。道路の両サイドの木々が高く立っているので、朝日はまだ当らず薄暗い感じだ。一の橋を過ぎると道路の両サイドにお寺や民家などがあり紅葉も綺麗だ。お寺と紅葉は本当によく合う景色だ。まだ朝早いので観光客も少なく写真も撮りやすい。本当に紅葉の綺麗な場所には腕章を付けたプロカメラマンみたいな人が撮影を行なっていた。

あちこち写真を撮りながら歩いていたら、9:14金剛峯寺に到着した。流石に境内に入ると観光客も多く、四国遍路の白衣や、さんや袋を下げている人も多く見かける。蝋燭をつけ線香をさしお札を納め本堂に行き般若心経を唱える。ここでもお経を唱えるうちにグッと込み上げてくるものがあり、思わず涙ぐんでしまう。歳をとると涙腺が弱くなってしまうがそれだけではないだろう。まだ奥之院のお参りが終わっていないが、ここまで来た達成感が気持ちを高揚させているのだろう。

最後に納経所で御朱印を頂く。篠栗88ヶ所と四国88ヶ所の納経所を出しお願いする。「篠栗88ヶ所と四国88ヶ所の納経書です。お願いします。」と差し出すと、「篠栗88ヶ所は久し振りに見るなぁ。篠栗って九州だったよね。?」と言われたので、「はい、福岡から飯塚に向かっていく途中ですよ。歩きで三日間のコースです。」と答えると、「おお、そんなに掛かるんか〜」といった反応だった。

御朱印を頂き広い境内の中を歩きながら紅葉を楽しむ。その後根本大塔、金堂を見た後大門に向かう。金堂から先の道はほとんど歩いている人がいない。10:03大門に着いたが誰もいない。周囲をゆっくり回り写真を撮りまた来た道を金剛峯寺の先まで帰っていく。

途中、胡麻豆腐スイーツを出しているカフェがあったのでちょっと立ち寄り、抹茶胡麻豆腐小豆を食べ休憩する。昼食タイム前に店内消毒を行うという事で長居はできなかったが、念願のスイーツは食する事ができた。

金剛峯寺の先を左に曲がり浪切不動尊に向かう。元寇のおり、ここの不動尊に元軍の退散を祈願し、元軍が引き上げた後、二度と敵が攻めてこないよう志賀島不動尊の背後についている炎のような浪を置いて来たそうだ。志賀島には「火焔塚」と言われる祠があるので、今度ここにも行ってみたい。浪切不動尊で浪がない不動尊を拝観しようと本堂の中を見たが、中が暗くよくわからなかった。

10:49に浪切不動尊を出て女人堂に向かう。明治になるまで高野山は女人禁制の街だったため女性がお参りに来た時、この女人堂より中に入る事が許されず、高野山の周囲をお鉢巡りのように1周していたそうだ。お参りした後ここのスタッフに色々説明して頂き、11:15女人堂を後にする。

ここから奥之院に向かって歩く。一旦千手院橋の所を左に曲がり、一の橋まで戻り奥之院に入っていく。名だたる戦国武将や大名家の墓の前を通りながら奥之院に向かう。御廟橋の手前に御供所があり、先に御朱印を頂きに行く。ここでも篠栗88ヶ所の納経書と四国88ヶ所の納経書を出すと、「篠栗も行かれたのですか。福岡の方ですか?」と窓口の女性に聞かれた。「はいそうです。お四国さんを回る前に脚試しに回ってみたんです。でも、実際に四国を歩くとレベルが違いました。」と答えた。「私も福岡県出身なんですが、篠栗88ヶ所は行った事ないんです。偶に納経書をお持ちになる方がいらっしゃいますがどのくらいかかるのですか?」「歩きで三日です。因みに四国は43日掛かかりました。」「それはお疲れ様でした。奥之院の御朱印には日付が入るので、今日が正式に結願日となります。」と御朱印の横に日付を押印してくれた。お姿は有料での配布という事なので、四国88ヶ所の納経書に残すため、1枚だけ頂いた。

御朱印をいただいた後に奥之院弘法大師御廟に向かう。御廟橋から先は撮影禁止エリアになる

。携帯のカメラを片付け奥に進んでいく。本堂(大師堂?)の中に入り般若心経を唱える。薄暗い建物の中でお経本の字が見えづらいが、ゆっくり読み上げる。その後建物の裏を周り参拝し、奥之院を出る。これで本当に88ヶ所巡礼がおわったんだなぁと思うと、なんだか寂しくなった。

御廟橋を渡り英霊殿に向かう。以前来た時もこの辺りが一番紅葉が綺麗だった記憶があり、今日はどんなものかな〜と期待しながら歩く。近付くにつれ期待を裏切らない事がわかる。銀杏の落ち葉の黄色い絨毯や、真っ赤な紅葉など撮影ポイントが沢山ある。それに合わせ観光客も多くあちこちでシャッターを切る音や、大きな話し声がする。プロ顔負けの機材を準備しているお年寄りのカメラマンも何人か撮影アングルを探し歩いている。そんな中、携帯のカメラで数枚写真を撮り昼飯を食べるべく駐車場方面に向かう。

奥之院バス停、駐車場近辺のレストランは順番待ちのようなので、宿の先にある豚カツ屋を目指す。12:57豚カツ屋に到着。店に入るとカウンター席は空いていたが、4人がけ、6人掛け席はいっぱいだった。丁度10人の団体客が入ったばかりだった様で、厨房のご夫婦はてんてこ舞いしていた。カウンター席に座り来店したことを厨房に伝え暫く待つことにした。5〜6分待ったら注文を聞きに来たのでB定食をお願いし美味しく頂いた。

宿の直ぐ近くに居るが、まだ宿に戻るには少し早いかなぁ〜と思ったので、奥之院の駐車場辺りの土産物屋を物色し、14:30宿に戻りゆっくりする。

今日は私以外に2名宿泊者がいるそうだ。どの様な宿泊客か楽しみである。そう思っていたら、1人目の客がやってきた。外国人の若い女性だ。流暢に英語でオーナーと会話している。会話のスピードが早く全くといっていいほど聞き取れない。チェックインを済ませバックパックを置き外出していった。暫くするともう1人の宿泊客がやって来た。日本人の少し年配のおじさんだ。日本人客にしては珍しくバックパックを背負っている。どうやら明日から熊野古道を歩くためにここに宿泊するらしい。チェックインの手続きと合わせオーナーが明日のルートを確認していたが、かなりタイトなルートで、この年配客の脚力だと12〜13時間くらいかかりそうだと言っていた。明日の宿泊先の宿のオーナーと電話で話をしながらルート確認をしていたが、本人は仕事の都合があり、どうしても明日中にその宿まで行かないとスケジュールがこなせない様だ。テントを持参していないとの事でオーナーはかなり心配していたが、今日の奥之院ナイトツアーと明日の朝のお勤め体験をキャンセルし、朝早くに出発する事を勧めていた。明日の天気予報は

チェックインの手続きが終わりオーナーが退出した後この客と話をしてみたが、私でもちょっっと二の足を踏むのではないかと思われるルートだったので、明日歩けても明後日以降の体力が心配されそうだった。本人もオーナーにアドバイスされ朝早く出発すると言っていたので、頑張って歩いて欲しい。

その後もその客と雑談していたが、18時を過ぎたのでシャワーを浴び19時過ぎには私は部屋に入り寝床に着くことにした。明日の天気は朝から雨の予報なので朝ゆっくりして高野山を早めに出て難波あたりで時間調整しフェリー乗り場に向かって行こうと思う。

 

本日の歩行距離 13.0km(18,569歩)

お参りした札所 高野山金剛峯寺高野山奥之院

 

 

遍路44日目 高野山へ

2022年10月30日(日) 天気 晴

朝5寺半過ぎに目が覚めた。共有スペースの電気が付くのは6時だし、宿を出るのは7時45分頃なので、ベットの中で時間を潰す。6時30頃に共有スペース行き朝食をたべる。まだ誰も起きて来ないので、1人でのんびりしていたら、7時にオーナーがやってきた。雑談をしていたら昨日出会った女性客2人が起きて来て朝の支度を始め出した。ギターを背負った娘は7時30分頃オーナーにお礼を言って出かけ、バイクの娘は朝食をゆっくり食べ始めていた。

私も支度をし7時45分にオーナーに挨拶して宿を出発した。

鴨島駅迄歩いて15分くらいだ。8:20発の徳島行きの列車に乗り徳島駅に向かう。8:51徳島駅着。駅前のバス乗り場は直ぐに分かったが、南海フェリー乗り場行きは9:15だ。時間があるなぁ〜と思い周囲を見渡すとスタバが見えた。道後温泉駅で見て以来だ。急に都会にやって来た感がする。道後温泉駅では前を通過しただけだったので、中に入りホットコーヒーを頼みバス乗り場に戻ってゆっくり味わった。

9:15に南海フェリー乗り場行きのバスが来たのでそれに乗り、9:40頃フェリー乗り場に到着した。和歌山港からどの経路で高野山迄行こうか悩んでいたら、「好きっぷ」という割引き切符のポスターが。徳島港から南海フェリー和歌山港へ、和歌山港から南海電車天下茶屋駅経由で高野山駅迄が、2,200円と格安だ。JRを使うよりちょっと時間はかかるが割安だ。正規料金だと、フェリー代だけで2,200円だからこれを利用しない手はない。「好きっぷ」で、高野山駅迄買い10:55発のフェリーを待って乗り込んだ。

2時間10分の船旅だが、じゅうたん席に寝っ転がって仮眠を取っていたらあっという間に和歌山港に到着した。和歌山港から南海電車和歌山港駅迄は連絡通路があり迷うことは無い。和歌山港駅から和歌山駅迄行きそこで難波行きのサザン32号に乗り天下茶屋高野線に乗り換え急行で橋本へ。更に橋本で極楽橋行きに乗り換え、極楽橋からケーブルカーで16:38高野山駅迄行く。何度か乗り換えたが、座席に座れたので疲れる事なく移動できた。

宿のオーナーからのメールだと日曜日の夕方は宿の周辺に晩御飯を食べる所が無く、コンビニも金剛峯寺方面にしか無いとの事。高野山駅から歩いて宿迄行くと1時間以上かかるので、一旦バスで金堂前迄行き、ファミマに寄り晩御飯と明日の朝食を仕入れ宿に向かう事にした。

高野山の街は紅葉が始まっており、赤や黄色に染まった木々とお寺のコントラストが綺麗だ。夕方で薄暗くなって来ているので、灯籠の灯りやライトアップされた建物なども相まってちょっと幻想的な風景を醸し出している。ファミマで食材を仕入れ、宿迄30分くらい歩きながら高野山の街を堪能する。

17:51宿に到着する。もう周囲は真っ暗だ。中に入りチェックインし、オーナーに設備の説明を聞く。昨日までは満室だったそうだが、今日は私1人の貸切り状態だ。説明が終わったらオーナーも出て行ったので、のんびり晩御飯を食べくつろいだ。なんだか得した様な感じだが、この広い宿に1人だけなのも寂しい感じもする。

明日の朝はゆっくり寝て納経帳を持って金剛峯寺奥の院に行く予定だ。

 

本日の歩行距離  6.5km(8,735歩)

お参りした札所   無し

 

 

遍路43日目 第八十八番大窪寺

2022年10月29日(土) 天気 晴

朝5寺半に目が覚める。昨夜はかなり冷え込んだ様で、テントの外に出るとひんやりしている。早速テントを撤収し簡単にパッキングして湯を沸かし朝ごはんにする。暖かいコーンスープが身体を起こしてくれる。

食べ終わって片付けていると、産直市場の準備に人が集まって来た。週末祭日だけ開店する産直市場で、商品陳列前に1週間分の掃除をするのだそうだ。「昨夜は寒かったろう、気温が5℃まで下がったからな〜」と言われたおじさんを見ると、昨夜望遠鏡博物館に見回りに来ていた人だった。「はい、ちょっと冷えましたね。でも、とりあえず防寒対策はしていたのでよく寝れました」と答えると、「それなら良かった。今日大窪寺へ行って終わりやろ。その後どうするの?」と聞かれたので、「大窪寺を打った後は鴨島に出て宿に1泊してから明日高野山に向かいます。」と回答する。「そりゃ気をつけていきなぁ」と言われ、hotの缶コーヒーを買って接待してくれた。朝の準備をしていたおじさんたちに礼を良い、6:53出発する。

ここから国道377線とその旧道の遍路道を歩いて行く。道は少しずつ登っているが、今まで登って来た山々の道を考えると大した事はない。が、流石に暑くなって来たので、上着は脱ぎ薄着になって歩いて行く。

8:01第八十八番大窪寺の山門に着く。仁王門を抜け境内に入ると大師堂があった。本堂と納経所はその奥だ。荷物を下ろすのに、納経所の近くが良いのでもう少し歩いて境内の中に入る。納経所の前のベンチに荷物を下ろし早速参拝する。本堂の前に行きお札を納め般若心経を読む。読み始めると胸が詰まり声が出ない。なんだか急にここまでの事が思い出され、四国の人達の温かいご接待や思いやりに、感謝の気持ちが溢れ涙が浮かんでくる。最後まで歩き通した充実感と相まって涙が止まらない。参拝者が少ない朝早い時間で良かった。涙声で般若心経を唱え終わると、頭に巻いた手拭いで顔を拭きゆっくり大師堂に向かう。大師堂でも般若心経をまともに読めず涙声になってしまったが、これで無事結願することが出来た。最後に納経所に行き御朱印を頂き、金剛杖を奉納し納経所を出た。奉納した杖を見ると、他の杖より遥かに短くなっているのが分かる。毎日毎日杖をついている時は気が付かなかったが、こんなに削れていたんだなぁと改めて長い旅を実感した。

8:38荷物を背負い笠だけかぶり帰路に着く。遍路を始めた時は杖に馴染めず、良く忘れて取りに帰る事が有ったが、今は逆に杖がないとなんだか違和感がある。それだけ杖が身体の一部になって来ていた事を実感する。

広い境内を抜けると左右のお土産物屋さんが開店準備で忙しそうにしていた。うどんでも食べて行こうかと思ったが、そのような雰囲気ではなかったのでその場を後にし、2日目に台風で足止めされた時にお世話になった宿を予約したので、そこに向け歩き始めた。大窪寺から23kmなので、約6時間だが、チェックインが15:30からなので、休憩をとりながらゆっくり歩いていけば良い。ここから鴨島の宿まではほぼ下り坂なので、むしろゆっくり足に負担をかけない様に歩いていかないといけない。そう思いながら歩くが、右手に杖がないとなんだかリズムが変わってしまう。左右の手を軽く振りながらリズムを作り軽快に歩いていく。道路沿いには「第十番切幡寺まで〇〇km」の表示が出てくる。長い長い石段の上にあった切幡寺から十一番藤井寺にいく途中にある宿だ。当然切幡寺より遠いのでこの表示を気にする事なく歩いていく。

昼飯時にファミマがあったのでイートインコーナーで昼食休憩をとる。昼食後も、途中何度か休憩しながら歩いていくと、吉野川の土手沿いの道に出た。あの橋を渡った所が今日の宿だ。と思いながら歩いていると、急に左側に止まっていたバイクのお兄ちゃんが「お疲れ様です。これお接待です。これから藤井寺ですか?」と乾燥バナナとナッツの入った容器を頂いた。「いいえ、先ほど八十八番まで打ち終えたので、今日鴨島の宿に泊まり、明日高野山にいく予定なんです。」と答えた。その若者も5月に歩きで88カ所回ったそうだが、高野山にはまだ行っていないらしく、「明日高野山ですか。羨ましいな。私は88カ所は回ったのですが、高野山には行けていないんです。近々行きたいと思っているんで、頑張って時間を作ります」と言っていた。ありがたくお礼を言ってバイクを見送った。吉野川にかかる橋を渡り歩いて行くと今日予約した宿が見えて来た。前回は台風前で大雨と風が強い日だったが、今日は天気も良く気持ちいい秋風がそよいでいる。

チェックインしようと宿に入るとスタッフの女性が、「結願おめでとうございます。お疲れ様でした。」と挨拶をしてくれ出迎えてくれた。「ありがとうございます。またお世話になります。」と答え、チェックインする。

今夜の予約は、男女混合の6人部屋には私1人だそうだ。好きなベットを選んでください。と言われたので、前回と同じ場所を選び、早速シャワーを浴び洗濯をした。夕食の時間までスタッフの女性と雑談しながら、先程頂いたバナナ&ナッツを食べながらまったりと時間を過ごす。

道路の向かいのコンビニに、夕食の弁当と明日の朝食を買いに行き18時頃に夕食を食べる。今夜の宿泊客は、私以外に女性客が4人いるそうだ。夕食を食べ終わった頃ギターを背負った女性客が入ってきた。連泊の方らしい。一旦部屋に荷物を置き出かけて行った。その後、バイクで一人旅していると言っていた女性がチェックインして来た。彼女も荷物を置き、近くの温泉に行くと言いバイクで出かけた。私は19時過ぎたので、後の2人を待つ事なく部屋に入り寝る事にした。野宿を続けた事で、20時には寝る習慣がついてしまった様だ。

 

本日の歩行距離  29.6km(41,061歩)

お参りした札所  第八十八番大窪寺

 

遍路42日目 第八十五番八栗寺、八十六番志度寺、八十七番長尾寺

2022年10月28日(金) 天気 晴

朝5寺半過ぎに起きテントを撤収し、軽く朝ごはんを食べ、6:08出発する。次の八十五番八栗寺に行くには、まず屋島寺のある山を下り川を渡りまた山を登って行く。朝一番の山道はまだ薄暗いし、夜露で濡れているので車道を下って行く。道すがら源平合戦の古戦場を通過するので、当時の合戦の模様などが残されてある。

7:05洲崎寺の前を通過。洲崎寺は、弘法大師により創建された寺で、四国遍路を庶民に広めた真念の墓がある所だ。朝早い事もあり、写真だけ撮り前を通過する。

牟礼の旧市街地を通りながら、だんだん道が登り始めた。うどんの山田屋の前を通過し勾配がキツくなってくる。

7:25八栗寺ケーブルカー乗り場に到着する。売店で小腹を満たす程度のお菓子を買い、この後の山道に備えるため、少し休憩する。

7:40ケーブルカー乗り場を出発。八栗寺まで1.1kmの表示がある。どの程度の上り坂か楽しみに登り始める。するとすぐ先に「男はつらいよ 寅次郎の縁談」のロケで使用されたよもぎ餅屋がある。中からよもぎのいい匂いがするのだが、まだ店は空いていない。後ろ髪を引かれながら前を通り過ぎる。

上り坂の勾配はかなり急だが、路面は舗装してあり歩きやすい。意外と歩きやすいな〜と思っていたら遍路道は山道へと誘導された。山道は整備されておりそれなりの勾配だが歩きやすい。終盤になって体ができてきたようだ。

7:59お迎え大師の像の前に到着する。ここは展望の良い場所で、遠くに高松市内や、昨日お参りした一宮寺の方向がよく見渡せる。八栗寺まではもう少しなので、写真を何枚か撮って休憩せずに歩き始める。

8:01「歓喜天」と書かれた鳥居をくぐり、八栗寺の山門前に到着する。菩提樹の木の下のベンチに荷物を置き参拝する。このお寺も山の上にあるのに境内は広くゆったりとしているが、本堂や大師堂の後ろを見ると、五剣山が覆いかぶさるように迫って見える。

8:25御朱印を頂き八栗寺を出発する。ケーブルカー乗り場の方に出て、左に曲がり舗装された道を下っていく。次の八十六番志度寺まで6.4Kmの表示がある。山を降れば志度寺まではほぼ平坦だから10時30分頃には着くだろう。そんな計算をしながら山を下っていく。

志度の町に入ると、あちこちに平賀源内の功績を記載した看板や記念館などがある。ここ志度町は平賀源内の生誕地であることから、町全体で平賀源内を推している事がよくわかる。志度寺の手前には平賀源内の墓もあり、街は源内一色だ。

10:27志度寺に到着する。街中にあるお寺だが、やはりそこは歴史のあるお寺だけに、境内には木々が多い繁り森の中に入ったような感覚になる。参拝を終え10:52出発する。

次の八十七番長尾寺までは、ほぼまっすぐ南へ平坦な道を進んでいく。今日の予定は、長尾寺を打って、そのまま第八十八番大窪寺方面に向かい、途中の「前山遍路交流サロン」に立ち寄り、道の駅ながおで野宿する予定だ。今のペースだと余裕で行けそうだ。

所々に休憩所があるが、のんびり歩いているので休憩せずに素通りしていくが、11:54うどん屋の駐車場の片隅にあった休憩所に寄り昼食休憩とする。うどん屋は客が多くていっぱいだったので、休憩所で昨日買った携帯食を出し昼食とする。

12:10休憩所を出てまた歩き始める。ここから長尾寺までは2.3kmの看板が出ている。この先は休憩せず行けそうだ。ほぼ平坦な旧街道を進み、12:41長尾寺に到着する。

長尾寺も街中にあるお寺だが、あまり木々が茂っている感じはなく、境内が広々見える。個々の名物が、「甘納豆おはぎ」とあちらこちらに書かれているので、参拝の後御朱印を頂き納経所で2個入りの「甘納豆おはぎ」を購入し、荷物を下ろしていたベンチで美味しくいただいた。おはぎに甘納豆ときな粉がまぶしてあり、上品な甘さで2個はペロリと食べることができた。

13:10長尾寺を出発。ここからはほぼ県道3号線を歩く。1時間くらい歩いていると、道はだんだん上り坂になっていく。道の駅ながおの標高が約150mだから大した登りではないが、ジワジワと足に疲れが出てくる。前山ダムの堤防が見えた所くらいから、一気に勾配がキツくなりダム湖の周辺道路に出る。

14:27前山遍路交流サロンに到着する。受付をし、認定書とバッチを頂く。ドイツ人のZさんは午前中にここに来たと言っていたので、今日中に大窪寺を打ち一番霊山寺に向かっているのだろう。私は道の駅に野宿しようと思ったが、まだ時間が早いのでもう少し歩いていく事にした。サロンの展示を見て道の駅で食材を購入し15:12道の駅ながおを後にした。

遍路交流サロンの方の情報だと、このまま県道を歩いていくと、遍路交流サロンと大窪寺の、ちょうど中間地点付近に天体望遠鏡博物館と産直市場があり、そこに遍路休憩所があるそうだ。トイレも夜間開放しているので、そこで今日は四国最後の野宿をしよう。そう決め、県道をひたすら登って行く。途中、野生の猿が喧嘩をしている所に出会う。道路の法面の上と木の枝にいる猿が威嚇の声を上げながら喧嘩しているようだった。先ほどの遍路交流サロンの方も、最近猿がちょくちょく現れ、柿の実などを食い散らかしていると言っていた。今晩野宿する時に食べ物のカスなどを外に置かない様気を付けないといけないなぁ。

標高360m位の峠を越え下って行っていると、左に曲がった所に天体望遠鏡博物館の看板が見えてきた。廃校になった小学校を改造して作った博物館だ。その横には産直市場と間に挟まれるように遍路休憩所がある。産直品販売所の一角で、屋根もあり電源も取れる。野宿場所としては最高の立地だ。16:47早速荷物を下ろしテントを張る。休憩所で夕食を食べていると、地元の方なのか、天体望遠鏡博物館の見回り?に来て施錠確認をしていた。「ここで寝るんかい?夜は寒いから風邪引かんようにな。」と声をかけて頂いた。今日で最後の野宿だが、本当に四国の方々は野宿遍路に優しいと思う。ありがたい事だ。

 

本日の歩行距離  33.9Km(47,379歩)

お参りした札所  第八十五番八栗寺、八十六番志度寺、八十七番長尾寺

 

遍路41日目 第八十三番一宮寺、八十四番屋島寺

10月27日(木) 天気 曇

朝5寺半過ぎに目が覚めた。昨夜はかなり寒くて、夜中に一枚上着を着て、寝袋の上にアルミシートを掛けてやっと寒さを凌げたくらいだ。ロフトで寝ていたZさんも寝袋の上に小屋に備えてあった毛布を掛けていた。

お湯を沸かし朝食を食べ荷物を整理して出発準備をする。Zさんはもう少しゆっくりして出かけると言っているので、7:17に先に小屋を出る。外に出るとそこまで寒く無く、山道を抜け民家のある辺りで上着を脱いで歩く。

鬼無の旧市街地を右に左に曲がりながら歩く。8:40立派な遍路休憩所が見えた。飯田お遍路休憩所と書かれてある。地域の集会所の様な立派な建物だ。中に入ると先客の歩き遍路の方が休憩されていた。部分打ちをしていて、今回で最後迄回り結願する予定だそうだ。一緒に9:00に出て行ったが、ゆっくりしか歩けないので先に行ってくださいと言われたので、先に行く事にした。

そのまま田舎道を歩き一宮寺を目指す。だんだん住宅が増えてきて、市街地の中を歩いていると、10:22一宮寺に到着した。古い町中にあるお寺だ。特に特徴がある訳では無いが、綺麗に掃き清められた境内だ。参拝を終え、10:55出発する。次の八十四番屋島寺で野宿する予定なので、時間に余裕がある。途中温泉を探し、一風呂浴びてから行こう。そう考えながら高松の街中を歩く。以前住んでいた三条駅の横を通るが、全く街並みを覚えていない。というより、道路や建物が変わっていて分からないと言った方が正解だと思う。30年も経つと街は変わるものだ。

屋島に近くなった所に「湯楽温泉」という日帰り温泉を見つけたのでちょっと寄る事にした。広い湯船でしっかり身体を伸ばし筋肉をほぐす。久々の広い湯船に入り疲れが取れる。

14:16温泉を出て屋島寺に向かう。ここからちょっとだ。14:40屋島寺迄2.3kmの表示が有った。登り坂を入れても1時間ちょいかなぁ。温泉で体も軽いし、歩いていても気持ちいい。14:48たぬきのキャラクターが遍路道を紹介している池の横くらいから道の勾配がキツくなりはじめた。まだ、周囲に民家が建ち並んでおり、歩いていても余裕だ。いや、温泉効果かなぁ〜。

14:53民家の建っている間の道から遍路道に入る。まだ路面は舗装してある。入口の看板は「屋島寺本堂へ、1,665m40分」と書かれている。意外と時間がかかるんだなぁと思いながら歩く。路面は石畳に変わる。「加持水」「不喰梨」の看板の前を通過し登る。路面は石畳のままだ。だんだん背中に汗が噴いて来た。せっかく温泉に浸かって来たのに。まあ、ある程度は想定していたが、それにしてはキツイ。

15:24屋島寺の山門(仁王門)に到着する。屋島の山頂にある広いお寺で、本堂に向かって歩いていると、もう一つ山門が有った。

お参りしようとしていたらZさんが、休憩していた。彼女の予定はもっと先に行っているはずだったのでここで会うとは驚きだった。足が痛くて登り坂がキツかったそうだ。赤く火照った顔でかなり疲れている様子だったが、この後次の八十五番八栗寺の近くの野宿ポイント迄行くと言っていた。明日には八十八番迄打ち終わり、一番に向かって行く予定だそうだ。怪我せず頑張って結願して欲しい。

私は時間がたっぷりあるので、ゆっくり参拝し、駐車場の外れにある四阿で夕食を食べ時間を過ごす。17時過ぎてもなかなか駐車場の車が減らない。18時近くなり薄暗くなって来たのでテントを張り寝床の準備をする。お寺のスタッフの方が、「最近イノシシが多いので気をつけてね」と声を掛けてくれた。思い起こせば、初めてテント泊した第四番大日寺の下の四阿でイノシシの訪問を受けてから野宿中に、イノシシには出会っていない。ここは、駐車場の一角だからイノシシは来ないだろうが、安心はできないな〜。

18時過ぎにテントに入るが、まだ駐車場に入ってくる車が何台もある。車を停めて何処に行くのかわからないが、わざわざこんな時間に来なくても、、、気にしてもしょうがないので寝る事にした。

 

本日の歩行距離  28.2km(39,886歩)

お参りした札所  第八十三番一宮寺、八十四番屋島寺

 

遍路40日目 第七十八番郷照寺、七十九番天皇寺、八十番国分寺、八十一番白峯寺、八十二番根香寺

2022年10月26日(水) 天気 晴

朝5時に目が覚めてしまった。6時に出発できそうだ。同室の歩き遍路の人も起きていたみたいで、部屋の電気をつけ朝ごはんを食べ支度をする。今日最初の第七十八番郷照寺迄は約1時間なので、6時に出発出来れば余裕だ。同室の彼は6時30分頃に出て、八十番国分寺迄しか行かないと言っていたので、先に支度を済ませ出発する事にした。

6:01宿を出る。丸亀駅前の通りから丸亀城横に行き旧街道を東に向かって進む。宇多津の旧市街地を歩いていると郷照寺の入口が見えてきた。6:59郷照寺に到着。まだお寺には誰もいない。早速納経所の前に荷物を下ろしお参りする。蝋燭立てに燃え残りの蝋燭が無く綺麗だ。線香を立てる所の灰も綺麗に慣らしてあり気持ちいい。朝一番のお参りならではの清々しさである。

お参りを済ませ納経所に戻り御朱印を頂いているとドイツ人のZさんがやってきた。昨日は、この直ぐ近くの善根宿に泊まったそうだ。今日の予定もほぼ同じなので、野宿場所がまた被るかもしれないなぁ〜と思った。

7:27郷照寺を出て第七十九番天皇寺に向かう。ここから約7kmなので、2時間くらいだ。宇多津の旧市街地を歩き坂出の街へ入る。ここでもシャッター街商店街を歩く。まだ朝早いので店が開いていないのか、営業していないからシャッターが降りたままなのかの判断がつかない。寂しい坂出の旧市街地を歩いて行く。

8:31休憩所があったので休憩する。バス停か休憩所かよく分からなかったが、とりあえず靴を脱いで足を乾かす。8:45休憩を終え出発。旧街道をひたすら歩く。ところてん屋を抜けたら、神社の境内に入り、その先が天皇寺だった。

9:04天皇寺に到着する。ここは、保元の乱に敗れた崇徳天皇と関係のあるお寺の様で、明治の神仏分離迄は崇徳天皇社として祀られていた様だ。境内(隣の白峰宮)には菊の御紋の入った白馬の像があったり、天皇家の関連を伺わせる。

9:27お参りを済ませ出発する。次は第八十番国分寺だ。坂出の旧市街を通り、川沿いの土手を通過し歩いて行く。国分寺を過ぎると山に入るので、少し早めの昼飯を食べるためにコンビニに寄り、イートインでコンビニ弁当を食べ、今晩と明日の朝の食材を仕入れて店を出る。

11:35国分寺に到着する。流石に讃岐の国分寺だけあって、広い敷地に古い建造物が多く見応えがある。ゆっくり参拝しながら境内を散歩して納経所に行く。

12:02国分寺を出発。次の八十一番白峯寺に向かう。国分寺周辺の集落の間を抜けながらじわじわ登って行く。集落を抜け登り坂の勾配がきつくなって行く。ただ、道は舗装されていて歩きやすい。12:35舗装された道から土の道に変わる。よく整備されていて歩き易い道だ。一旦車道に出るが、また山道にはいる。自衛隊の演習場の側を通り下って行くと、白峯寺と八十二番根香寺の分岐になっているので、左に曲がり白峯寺方向へ下って行く。ここから0.7kmなので後少しだ。

13:54白峯寺に到着。お寺の奥には崇徳天皇陵があると案内看板に書かれている。四国唯一の天皇陵だそうだ。そんな由緒あるお寺だけあって境内は広く古い建物があちこちにある。

14:18お参りを終え白峯寺を後にする。一旦山道に戻り登って行く。自衛隊の演習場の近く迄戻ったら、Zさんが間違えて演習場に入り込んだみたいで、演習場から出てきているのが見えた。すれ違う時に挨拶し、私はこの先の遍路小屋に荷物を置き根香寺に空荷でお参りしたら、その遍路小屋に泊まるつもりだと話した。Zさんもその遍路小屋に泊まるつもりだそうだ。とりあえず、遍路小屋で合流してからどうするか相談する事にし、左右に分かれて歩き出した。

根香寺に向かう山道は、よく整備されていてすごく歩き易い。時おり勾配のきつい所があるが、階段が作ってあったりして有難い。

根香寺迄1.9kmの所に「景子ちゃんの接待所」と書かれた所があった。木陰のベンチが並んだ場所に、クーラーBOXと衣装箱が置かれてあり、ジュースやコーヒー、お菓子などのお接待がある。「お遍路さんお一人様1個ご自由にどうぞ」と手書きの貼り紙がしてありゴミ箱迄置いてある。車道から離れたこの場所にわざわざ持って来てくれていると思うと頭が下がる。心からお礼を言い、缶コーヒーを1本頂きその場で飲んだ。

接待所から一気に登り勾配がキツくなり15:28車道に合流した。暫く車道を行き15:36また山道に入る。ここから根香寺まではもう1kmも無いので、ラストスパートだ。15:47遍路小屋に到着。荷物を小屋の中に置き根香寺に向かう。

15:54根香寺に到着する。山門を潜ると、先に見える石段迄左右は紅葉の木で覆われている。紅葉の時に来れば綺麗な景色になっている事が目に浮かぶ。後2週間くらい先かなぁ〜。

石段を上がり境内に入ってもあちこちに紅葉が植えられている。広い境内を散策しながらお参りを済ませ、納経所で御朱印を頂き16:16根香寺を出て16:22遍路小屋に戻る。

改めて小屋の中を見ると、一階と、ロフトがある。電源も使え、外にはトイレと洗面所があり、キャンプ場のロッジの様な感じだ。また、向かいには、女性専用の無料遍路小屋もあり、至れり尽くせりだ。16:40過ぎにZさんがやってきた。「根香寺に今日お参りするなら、荷物置いて先に行かないと時間ないよ」と伝えると、「はーい」と返事して荷物を置き走って山道を下って行った。空荷になったとはいえ凄い体力だ。

17時過ぎにZさんがお参りを終え小屋に帰って来たので、向かいに女性専用の無料遍路小屋がある事を伝え、こちらの小屋の中も見てもらった。「女性専用の小屋は畳が敷いてあるがとても寒そうなので、一緒に小屋に泊まっていい?」と言ってきた。「Zさんが良ければ良いですよ。寝る場所は、一階とロフトどちらか選んでね。」と返事すると、ロフトを選んだ。小屋の中でお互い晩御飯を作り食べながら雑談をする。Zさんは日本語が話せるのでドイツ語も英語む喋れない私でも話し易い。どうやら、9月17日の朝から歩き遍路を始めたそうだ。私が同じ日の午後からだったので、ほぼ同じタイミングでのスタートだ。やはり足のマメに苦労しており、今も左右共に水膨れがあるらしい。日本に来て2年半くらいだそうだが、日本語が上手なのには驚いた。食事が終わると後片付けをし、20時前には電気を消し寝床に着いた。

 

本日の歩行距離  31.3km(44,937歩)

お参りした札所  第七十八番郷照寺、七十九番天皇寺、八十番国分寺、八十一番白峯寺、八十二番根香寺

 

遍路39日目 第七十一番弥谷寺、七十二番曼荼羅寺、七十三番出釈迦寺、七十四番甲山寺、七十五番善通寺、七十六番金倉寺、七十七番道隆寺

2022年10月25日(火) 天気 晴れ時々曇

今日は、宿の朝食が7:30からなので、のんびり7時迄寝る事が出来た。といっても、5時に起きた後二度寝したのだが。

朝食を食べ終わり、荷物を纏め8:13に出発。先ずは昨日行けなかった七十一番弥谷寺に向かう。ここからは直ぐだと思ったが、結構な上り坂を数分歩く。本堂まで581mの表示を見つけた。車道から外れ参道に入る。8:20本堂まで530mの看板と、次の第七十二番曼荼羅寺への遍路道の分岐を通過する。山門を通過して本堂へ続く石段を上がる。駐車場からの入口と合流し、108段の昇運の石段を上がって行く。本当に108段あるか下から数えながら上がって見ると、丁度108段だった。8:28昇運の石段を登り切った所が大師堂と本堂の分岐で、右に回り本堂方向へ。また石段を上がって8:39本堂前に到着する。岩山の中に繰り抜かれた様に本堂が建っている。また、ここからの景色も絶景である。朝一番の参拝なので荷物を背負ったまま元気に景色を楽しむ余裕もある。本堂の参拝後石段を慎重に下り大師堂に行く。大師堂には靴を脱いで入る様になっているので、入口で荷物も下ろし上がって行く。中に入るとヒンヤリとした空気感で、身が引き締まる感じがする。

参拝を終え納経所で御朱印を頂いた後、大師堂の中での写真撮影の確認をしたら、フラッシュを焚かなければ大丈夫との事。早速何枚か撮影し、大師堂を後にする。

9:02弥谷寺を出発。次の曼荼羅寺へ向かう。山道を暫く下って行き溜池の横を抜けアスファルト舗装された道に出る。高速道路の下を潜り山道に戻り、また舗装された道を歩く。民家の間を抜け歩いていると、9:53曼荼羅寺へ到着する。参拝を終え納経所で御朱印を頂き10:13曼荼羅寺を後にする。

次の第七十三番出釈迦寺に行くには、一旦道を戻って山に登って行く。距離は大した事無いので直ぐに着くが、かなりの傾斜を歩いて上がる。坂の途中みかんや柿などが一袋全て100円で売られていた。みかんを買おうか迷ったが、荷物になるので諦め坂を登る。

10:21出釈迦寺に到着する。弘法大師が7歳の時、出釈迦寺奥の院が有る山の上から飛び降りた所、天女が舞い降りて来て大師を助けたと言い伝えの残っているお寺だ。はるか上の奥の院を見たが、あそこに7歳の子供が行くだけでもすごい事だと思える様な山の上であった。

10:40参拝を終え御朱印を頂き出釈迦寺を後にする。先程登った道を下り、曼荼羅寺の横を通り次の第七十四番甲山寺に向かう。

昔からの集落の間を抜け、田圃の間の道を通り、11:16甲山寺に到着する。境内に入ると雲辺寺で出会ったドイツ人の女性Zさんが参拝を終えて出発する所だった。挨拶を交わし見送った。

参拝を終え御朱印を頂き今日の予定を確認する。このペースだと七十七番道隆寺迄行けそうだ。七十八番郷照寺は厳しそうなので、その手間の丸亀市辺りで宿を探す事にした。丁度駅前のゲストハウスが空いていたので予約し、11:35次の第七十五番善通寺に向かった。

次の善通寺までは、旧市街地を歩きながら進んでいく。

11:52善通寺に着くが、流石に弘法大師の生誕地のお寺だけあって街中のお寺なのに敷地が広い。道路の左右に本堂と大師堂が分かれており、荷物を背負ったまま本堂にお参りしに行くと、Zさんが本堂の近くで休憩していた。この先の野宿スポットの事や、今日の宿など色々情報交換をし、大師堂に向かった。大師堂は本堂より立派な感じだ。弘法大師の生誕地ならではの作りなのだろう。御朱印を頂き、Zさんに挨拶して、12:28善通寺を後にする。

次は第七十六番金倉寺だ。善通寺市の市街地を通り昔ながらの街並みを抜け金倉寺を目指す。

13:14金倉寺に到着。仁王門を抜け本堂に行くと、金ピカの大黒様の像が立っていた。お参りした人達が、大黒様に金箔を貼って金運を頂いているのだ。流石に金箔を購入して貼るだけの余裕はないが、大黒様には金運アップの願いをしておいた。

13:39金倉寺を出発する。次は第七十七番道隆寺だ。昔ながらの集落の中を通り善通寺市から多度津町に向かい歩いて行く。

14:33道隆寺に到着する。お参りし、御朱印を頂き14:59に出発する。次の七十八番郷照寺迄7kmの看板が有るが、丁度中間辺りの丸亀駅前の宿迄行けば良い。旧市街地を通り丸亀市に入る。そのまま旧街道を通り丸亀駅前にあるゲストハウスにチェックインする。

同室の人も歩き遍路で、昨日から連泊だそうだ。と言うより、今日は疲労で歩けずダウンしているらしい。丁度宿の自転車を借り銭湯に出かけていて留守だった。

私は、早速宿でシャワーを浴びて洗濯し、明日の朝食を買いに行く。

宿に戻りオーナーと話していたら、同室の人が帰ってきた。色々と歩き遍路の辛かった事など話したり、この先の野宿スポットなどの情報交換して楽く過ごした。

お互い明日は早いので20時には部屋に戻り横になった。

 

本日の歩行距離  25.8km(36,385歩)

お参りした札所  第七十一番弥谷寺、七十二番曼荼羅寺、七十三番出釈迦寺、七十四番甲山寺、七十五番善通寺、七十六番金倉寺、七十七番道隆寺

 

 

遍路38日目 第六十七番大興寺、六十八番神恵院、六十九番観音寺、七十番本山寺

2022年10月24日(月) 天気 晴

朝6時に起きテントを撤収しベンチに座り朝ごはんを食べる。昨夜は夜半から風が強く吹いていたが、建物の影にテントを張ったので風の影響はなく意外と暖かく寝ることが出来た。

6:34支度ができたので、ロープウェイに乗る前に誰もいない雲辺寺山頂公園にある天空のブランコに乗ってやろうと荷物をまとめ歩き始めた。丁度昨日会ったドイツ人の女性が朝食を終え使用したコッヘルを洗い終えた所らしく、手洗い場から出て来た所に出会った。挨拶をし、お互い昨夜よく寝れたかを聞き合った。通夜堂がどんな所か知らなかったので、「通夜堂ってどこにあるの?」と聞いたら、「見てみる?」と言われたのでついて行ったら、新しく出来たばかりのお手洗いの裏にあり6畳くらいのフローリングの部屋になっていた。電源のコンセントもあり、彼女曰くホテルと変わらない、今までの通夜堂の中でも一番綺麗だと言っていた。確かにその通りだった。ま、雲辺寺でテント泊も悪く無かったので良しとしよう。

ロープウェイの時間まで山頂公園の天空のブランコに乗ってくると話し彼女と別れる。そう言えば彼女の名前を聞いていないし私の名前も教えていないな〜と思いながら山頂公園に歩いていく。

雲辺寺スノーパークの建物の中を通過し山頂公園にでる。絶景である。広い公園だが、当然まだ誰もいない。荷物を置き童心に帰ってブランコに乗る。左下には四国中央市新居浜市の街並みが。右下には観音寺市善通寺市などの街並みが。遠くには今治市からしまなみ海道の橋や、瀬戸内海の向こうに福山市の鉄鋼所の煙突や、瀬戸大橋まで見える。この絶景を独り占めしているのだ。朝の清々しい空気に包まれ最高に癒されるひと時だ。もう暫くこのエリアを独り占めしていたかったが、ロープウェイの時間もあるので荷物を持ってロープウェイ乗り場に行く事にした。

7時過ぎにロープウェイ乗り場に行くと、丁度朝一番の試運転を行なっている時だった。係のスタッフが今日の展望はこの秋一番だと言っていた。昨夜の風で空気中のゴミが飛ばされたのだろう。これだけはっきり遠くまで見える事はあまり無いそうだ。待合室にはもうストーブに火が入っていたが下に降りると今日は暖かくなりそうだ。

7:20定刻になったのでロープウェイは出発する。ゴンドラは当然私1人貸切状態で下に降りていく。中間地点で下から上がって来るゴンドラとすれちがう。小さな子供が2人と大人が5,6人乗っていた。

7:27山麓駅に到着する。ここから第六十七番大興寺に向かって歩いて行くのだが、遍路道の表示が無い。歩き遍路の人がロープウェイを使う事を想定していない様だ。仕方が無いのでGoogleマップを使い大興寺に向かって行く。当然途中にも遍路道の案内はなく休憩所なども無い。みかん畠の間の道を抜けると田圃の間の道に変わる。民家の横を通過し大興寺のすぐ近くで歩き遍路の道と合流する。

9:10大興寺に到着。石段を上がり境内に入ると、本堂は改装中の様だ。仮設の本堂でお参りし大師堂に行き、最後に納経所で御朱印を頂く。9:33大興寺を出発する。次の第六十八番神恵院まで8.3kmの表示が貼ってある。2時間ちょっと掛かる計算だ。神恵院と、第六十九番観音寺は同じ境内にお寺があるので移動時間はかからない。次の札所への案内も、神恵院だったり観音寺だったりしている。

11:45神恵院に到着する。入口には神恵院と観音寺の案内地図が有る。本堂、大師堂は別々だが、納経所は一緒だ。先ずは神恵院の本堂に向かう。鉄筋コンクリート造の珍しい建物だ。続いて神恵院の大師堂、観音寺の本堂、大師堂と参拝して納経所に行き、2カ所纏めて御朱印を頂いた。

境内に食事が出来る所があったので、肉うどんと冷やしぜんざいを頼み美味しく頂いた。

肉うどんの中に、ところてんの様な物が入っている。うどんは讃岐の腰が効いた麺ではなく柔らかい食感だったが、半透明のところてんの様な物と交わり微妙な食感を出している。店の人にこれが何か聞いてみたら、糸こんにゃくだそうだ。初めての食感でなかなか楽しめた。

食事を終え12:43に観音寺を出て第七十番本山寺に向かう。観音寺から出て川を渡り、川の土手沿いの道を歩く。JRの線路の下を潜り暫く行くとまた川を渡り本山寺だ。

13:47本山寺に到着。ゆったりした敷地に国宝の本堂がデンと建っている。鎌倉時代の建築だそうだ。五重塔も立派で、木造建築マニアには堪らないお寺ではないだろうか。

参拝後御朱印を頂き14:07出発する。次は第七十一番弥谷寺だ。本山寺を出た所に、後12kmの看板がある。17時に間に合うかギリギリの時間だが、ダメなら直ぐ下の温泉に入り隣の道の駅に行けば良いので焦らず歩く事にする。

三豊市の旧市街や国道11号線を歩きながら弥谷寺に向かって行く。

15:31遍路小屋茶処みとよ高瀬に到着する。この時点で、もう弥谷寺には間に合わないので、15:46迄休憩し出発する。

遍路小屋を出てからは旧街道に入り民家の間や田圃の中を歩いて行く。弥谷寺に近づくにつれ道は上り坂になり、後1.1kmの表示がある所からは勾配もキツく、横を通る車の排気音も苦しそうだ。

16:53道の駅ふれあいパークみのに到着する。そのまま、道の駅の一角にある「天然いやだに温泉」の受付に行く。受付で、今日部屋が空いていて、ワクチン3回接種証明が有れば40%引きで3,000円分のクーポンが貰える事を聞き、日帰り温泉ではなく宿泊する事にした。

まったり温泉に浸かり洗濯をしている間にレストランでクーポンを使って焼肉定食を堪能。なんだか凄く得した気分になる。21時頃雨も強く降って来たので、屋内の有難さを実感する。

 

本日の歩行距離  35.0km(48,748歩)

参拝した札所   第六十七番大興寺、六十八番神恵院、六十九番観音寺、七十番本山寺

 

 

遍路37日目 第六十五番三角寺、六十六番雲辺寺

2022年10月23日(日) 天気 曇りのち晴れ

朝4時過ぎに目が覚めた。四阿の下テントの方を起こさない様に静かにテントを撤収し、出発の支度をする。4:51出発。

旧街道を暫く行くのが遍路道だが、朝食を食べる為国道11号線に出てファミマによりイートインで朝飯を頂く。その後旧街道に戻り歩いて行く。道沿いにお祭りのポスターや幟が立てられている。よく見ると、今日迄この辺りの町のお祭りの様だ。はっぴを着た若い衆や子供達が集合場所に向かい旧街道を歩いている。

7:30道端で休憩していたら、地元のおじさんが自転車でやってきて、「何処から来たん?」と聞かれたので、「福岡市内です。」と答えると、「今日はこの辺り太鼓祭りなんや。ええ時に来たね〜。この道をずっと行くと町内毎に山車が出とるから見て行き。時間があるんなら昼前に山車が神社迄練り歩くからなぁ〜」と言われた。そんな事を話していると太鼓の音が聞こえてくる様になった。おじさんがそそくさと行き始めたので、7:47に休憩場所を出発した。

2、3分歩くと山車が見えて来た。先程のおじさんも嬉しそうに山車の横で見ている。「この飾りをよう見てくれ」と山車の説明をしてくれた。煌びやかな飾りが前後に付いていて、真ん中に太鼓が設置してあり、先程からリズム良く叩かれている。

暫く見ていたが時間もないので、その場をさりまた歩き始めた。10分程度歩いていると次の町の山車が軽快に太鼓の音を響かせていた。ここも、地元の若い衆や見物の人達でいっぱいだった。偶然だが、楽しそうな祭りの風景を体感できほっこり嬉しくなった。

旧街道を歩きながら、休憩所を探すがなかなか出会わない。愛媛県に入り、高知県に比べ遍路道の表示、標識は多くなり歩きやすくなったが、徳島県の様にこまめな休憩場所の設置はない。ある意味これが普通なのだが、徳島県の遍路への接待を体験すると、それが当たり前の様になり、段々贅沢になっている様だ。

三角寺に向かい道が上り坂になってくる。ジワジワ登っていると、9:23道端の建屋の壁に歩き遍路道の案内と、後3分でひびき休憩所が有る事。その休憩所から三角寺まで30分と書かれている。とりあえず後3分で休憩だ。と自分を励まし歩いていく。

9:26ひびき休憩所に到着する。本当に3分で着いた。ここは、四国中央市が一望に見をろせる休憩所だ。結構高い所まで来ているのがわかる。だが、三角寺はまだ先だ。9:38休憩を終えまた歩き始める。ここから暫くは山道を登っていく。傾斜はそんなにキツく無いが、もう朝から4時間以上歩いているので、体が疲れているのがわかる。暫く歩いていると車道と合流し、10:10三角寺に到着する。石段を上がり参拝を済ませ納経所に行き御朱印を頂く。納経所の女性に、「この後歩きで雲辺寺に行くのですが、今日間に合いますかね?」と聞いてみたら、「ここから7時間です。ギリギリ間に合わないんじゃ無いでしょうか。」と回答された。え?7時間か。雲辺寺の納経所の時間に間に合わないと通夜堂の使用願いができない。最悪頂上でテント泊か。とにかく行くしか無いので、とりあえず麓まで頑張って行ってみよう。と思い直し、納経所の女性にお礼を言い、10:40三角寺を出発する。

三角寺から雲辺寺に向かう途中、別格霊場第十四番の常福寺があるが、今回はそこには寄らず雲辺寺を目指す事にする。三角寺からの道は舗装された道をなだらかに降っていく。途中女性2人組の歩き遍路の方を追い越し坂を下っていく。県道5号線と合流した所にバス停があり休憩できるので、11:35バス停で軽く携帯食を食べ休憩する。11:49先程追い越した女性たちが降りてきた。彼女たちが持っていおる地図と遍路道の表示が違うようで、県道5号線に出るべきか迷っていたので、声を掛けこっちですよ。と呼びかけてあげた。「もう少し上まで上がって休憩所が有るって書いてあるんだけど、道はこっちなんですか?」と聞かれた。私の持っている地図にも休憩所の位置がもっと上になっていたが、遍路道自体はこっちで間違っていないことを告げ、ここのバス停で休憩できますよ。向かいに自販機もあるので水分補給も大丈夫です。と教えてあげると、自販機に喜んでここで休憩しようと話し合っていた。

女性たちを置いて先に進んでいくと、1分も歩かないうちに休憩所があった。おそらくお互いが持っていた地図が間違っていたようだ。でも、そこには自販機はなかったので、結果OKだと思う。休憩所の前に雲辺寺まで29Kmの看板があった。平坦の道で7時間以上かかる計算だ。三角寺から1時間以上歩いているがまだそんなにあるのか。と気分が少し落ち込むが、取り合えす前に進まなければ近づかないので、舗装された旧街道を歩いていく。12:01「四国遍路 夜の宿貸します」と書かれた看板と連絡先が貼ってある建物を通り過ぎる。おそらく善根宿なのだろうが、ここは無知して通り過ぎていく。12:06通称鳩小屋と呼ばれている善根宿の前を通過する。鳩小屋の跡らしきものは残っているが、鳩の姿は見当たらない。地元の建設会社さんが歩き遍路のために接待してくれている善根宿らしい。ありがたいが、ここにも用はないので通過する。12:29椿堂(番外霊場常福寺)の前を通過。いつの間にか国道192号線を歩いていた。13:08遍路小屋法皇第35号に到着。流石に疲れたのでここで休憩する。小屋の中に以前も見かけた45日で回る標準行程図が貼ってあった。雲辺寺は38日目の行程になっている。今日は37日目だから一日追い越したのか。この後の行程に余裕ができている。どこかで休養日を作って休養しなければ。なんて甘い考えも浮かんできた。

13:26遍路小屋を出発する。国道192号線を登っていく。頂上手前からトンネルを避けた遍路道(山道)があるが、時間を優先するため、遍路道には入らずトンネルを通る事にする。13:53境目トンネルの入口に着く。長さ855M。ちょっと長い。ヘッドライトを取り出し、狭い歩道を歩く。

14:06トンネルを出るとそこは愛媛県から徳島県であった。雲辺寺香川県の最初のお寺の位置付けになっているが、徳島県側から上がっていくのが歩き遍路のルートなのだ。トンネルを過ぎたら下り坂になる。せっかくここまで登ってきたのにまた下るのか。と思いながら降っていると、14:25遍路道(旧街道)は左に行くよう標識が出ていた。このまま左側に入り、旧街道を通り山道に入って行くのだ。ジワジワと降っていると、14:42山道の入り口に到着する。ちょうど地元の方が作業から帰ってきた所で、みかんジュースをご接待いただいた。お礼を言い、ここからの道を尋ねると、「ワシらの足でも2時間くらいだから、急げば17時に間に合うんじゃないか?」との事。やった!急に元気が出てきた。後2時間頑張るぞ!と気合を入れ直し山道に入る。ここの標高が約170mここから911mの雲辺寺まで約740mの登山だ、とにかく急坂が続く。さっき三角寺からダラダラ降りてきた標高差が恨めしい。「1時間ちょっと登ると車道と合流するからそこからはなだらかになるよ。」と先ほどの地元の方に教わった。よし、1時間足掻いてやる。と気合だけは十分に入っているのだが、なんせ上り坂がきつく足が上がらない。遍路道沿いに地元阿波池田ライオンズクラブの方々か設置された「66番札所雲辺寺へガンバレ You can do it 」と書かれた看板が道案内に出ている。その看板を見るたびに、「I can do it」と声を出しながら気合を入れて登る。

15:45ついに車道に合流する。雲辺寺まで2.5Kmの表示が。後40分だ。車道に入ると今までよりは上り勾配が緩やかになってきた。このペースで歩けば17時に間に合う事もわかり元気になる。後は、雲辺寺の通夜堂を貸してもらえるのかだ。コロナ禍で通夜堂を閉鎖している所が多いため、納経所で聞くしかない。そんなことを思いながら歩いていると、前に人影が見える。背中のザックが私と同じくらいの大きさなので、おそらく野宿スタイルの歩き遍路の方だ。登っていくうちに段々近づいて来た。女性のようだ。先日来噂になっているドイツ人女性の歩き遍路の方かな?残り1.3kmの看板が出ている所でついに追いついた。挨拶をしてみると、噂通りのドイツ人の女性遍路の方だ。かなり上り坂で疲れたようで、足が痛いと言っていた。日本語が上手なので、日本語で会話しながら少し並走し歩いていたが、若干辛そうだったので、先にいく事にした。もう残りも500mくらいだ。坂も緩やかになって来ており雲辺寺の建物も見えてきた。仁王門の手前に車で来た人の参道補修協力費の受付窓口があった。そこから上がったところが納経所だが、時間も余裕があるので、仁王門から入る事にした。

16:26に仁王門前に到着。写真を撮ったり阿吽像を観察していると先ほどのドイツ人女性がやってきた。阿吽像の「阿」と「吽」の顔の違いを説明してあげたら知らなかったらしく喜んでいた。仁王門を通り大師堂の前を通過し先に納経所に寄った。御朱印を先に頂き通夜堂の事を聞いた見たら、閉鎖はしておらず使っても良いとの事だ。じゃあ、もう少ししたらドイツ人の女性が来るので、彼女が通夜堂を使うのなら私はテントを張ろうと思うが、敷地内で張っても良いか聞いてみた。「トイレの辺りですか?」と聞かれたので、「いいえ、仁王門の右側の建物の入り口の屋根の下が希望ですが良いですか?」と場所を説明したら、「大丈夫ですよ」との回答だった。そんな会話をしていると、彼女がやってたので、通夜堂使えますよ。と教えてあげ、納経所の女性に「じゃあ、彼女に通夜堂を案内してあげてください」とお願いした。

ドイツ人の彼女は明日は歩いて山を降り次の第六十七番大興寺に向かうそうだ。私は始発のロープウェイで降り七十一番弥谷寺の手前にある温泉を目指す事を伝え納経所の女性が通夜堂の準備を終えるのを待ち、納経所の女性が彼女を通夜堂に案内している間に、納経所の前に荷物を置きゆっくり参拝し荷物を持ってテントの設置場所へ移動した。

テントを張り終えた頃日が落ちてきたので、トイレに行き水浴びをし服を着替えテントに戻った。今日はかなりの強行軍だったので、テントの中に横になったら直ぐに寝てしまった。

 

本日の歩行距離  40.0Km(57,394歩)

お参りした札所  第六十四番三角寺、六十五番雲辺寺

 

遍路36日目 第六十二番宝寿寺、六十三番吉祥寺、六十四番前神寺

2022年10月22日(土)  天気 雲後晴

朝6時に宿の方の「朝食の準備が出来ました。」の声で目が覚めた。今回の遍路の旅の中でこんなにぐっすり寝ていたのは初めてだ。急いで顔を洗い食堂へ行く。朝飯は普通の旅館の朝定食だった。

この宿は以前道路側に有る古い建物だったが、コロナ禍に新築したまま9月まで休業していたそうだ。通りで部屋に入ると新しい畳の匂いが香っていたのか。

歩きの男性遍路さん2人と車の二人組の女性遍路さんと私の計5名の宿泊だったのは、まだオープンした事が知れ渡っていないからかもしれない。男性の一方は今回で歩き遍路四周目で、コロナ前に古い建物の時宿泊したそうだ。夕食のしゃぶしゃぶはこの宿の名物だそうで、連泊すると2日目はすき焼きになるそうだ。個人的には最初がすき焼きの方が良かったが、しゃぶしゃぶで充分満足していたのだから、良しとしなければいけないだろう。

朝食を食べ終わり部屋戻り荷物を纏め、6:50宿を出る。先ずは第六十二番宝寿寺に行く。宿からは直ぐなので、のんびり歩いたが、6:59に到着する。こじんまりとしたお寺で敷地も狭い。朝早かったので、まだ納経所の準備が出来ていなかったので、お参り後少し待って御朱印を頂く。

7:19宝寿寺を出発。次の第六十三番吉祥寺に向かう。国道11号線沿いを歩き7:37吉祥寺に到着する。ここは本堂の改修工事中で大師堂にお参りをする。ここは、四国霊場の中で唯一毘沙門天がご本尊として祀られているそうなのだが、工事中はどうなっているのだろう?

7:51お参りを終え出発する。次の第六十四番前神寺迄は3.2kmなので、休憩せず一気に行く事にする。前神寺の直ぐ手前には石鎚神社があり昔は何か関係があったのではないかと思わせる。

8:32前神寺山門に到着。本堂は駐車場の先なのでもう少し歩かないと行けない。8:39本堂前に着く。宝寿寺、吉祥寺が街中でこじんまりとしたお寺だったのと比べるとあまりにも広い境内だ。明治の神仏分離迄は、石鎚神社の所にあったそうだ。一旦廃寺になり明治11年に再興されたとある。歴史あるお寺だけに以前同様の広い敷地で再興されたのだろう。

お参りを済ませ御朱印を頂き9:03出発する。

この後は、国道11号線沿いに旧街道と11号線を使い六十五番三角寺に向かって歩いて行く。理想は伊予三島辺りまで行きたいが、日暮れ時を目安に野宿ポイントを決めていきたい。

街中の旧街道を抜け田圃の間の道を歩いて行く。後ろから来た車を避けて右端に寄っていたら、運転していた年配の女性が車を止めて呼び掛けてきた。「歩いて遍路してるんじゃろ?家の前を通るのが見えたから買い物行くついでに追いかけて来たんよ。お接待させてね。」と言われ、板チョコと良く冷えたリポDを頂いた。「私も昔車で回ったんよ。歩きの人は大変じゃけど頑張ってね」と励まされた。お礼を言い車が行くのを見送った。

旧道を歩き川を渡り、川沿いの公園の横を通過した後遍路道の看板を見落としたらしく、国道11号線に出てしまった。まあ、この先合流するのだから引き戻る事もないや。と思いそのまま歩く。

10:18道端に休憩できるベンチがあったのでそこで先ほど頂いたチョコとリポDで休憩する。10:35出発。暫く国道11号線を歩く。昼飯時になったので、ローソンに入りイートインコーナーでコンビニ弁当を頂き休憩する。昼食後暫く国道11号線を歩いていると、遍路道の案内があったので旧道に入る。旧道を歩いていると急にアーケードの付いたシャッター街商店街に入った。

13:39商店街の中心だったと思われるふれあい広場で休憩する。喜光地商店街というところの様だ。元営業していたと思わせる看板が残っているが、完全にシャッター街だ。歩いている人はおらず、時より学生が自転車で通過している。取り残された街の感じで何だか寂しさを感じた。

14:11休憩を終え出発する。また暫くシャッター街を歩き旧道に出る。旧道を暫く歩くと国道11号線に合流し、峠道になる。

15:41峠の手前にある善根宿の前を通過する。明日のことを考えるとここに泊まる訳にはいかない。民家をそのまま使用し歩き遍路の拠り所になりそうな感じで、せっかくのご厚意を踏みにじる様で申し訳ないが、そのまま素通りして行く。

15:46峠を越えた所に四国の道の案内看板があった。ここから延命寺まで5.5kmと書かれている。今日の野宿場所は延命寺の横にある公園の四阿にしよう。もし17時までに着けば御朱印を頂き数珠玉を買おう。そう思い歩き出す。

旧街道に入り歩いていると15:53バラ園の横に休憩所があった。ちょっと疲れていたのでここで休憩する。16:12出発。このペースだと延命寺の納経所には間に合わないな〜と分かってきたのでペースを落としゆっくり歩く。日没迄に着けば良いや。と思いながら歩いていると、16:20遍路休憩所の看板が。「弘法の館」と大きな看板が掲げられている。写真だけ撮って素通りしようと思ったらここの女性が、「是非休憩して行って下さい。」と呼び止めてくれた。さっき休憩したばかりだが、せっかく呼び止めてくれたので、また休憩する事にした。

中に入ると壁一面にお札が貼ってある。今迄ここでお接待を受けた人達が置いていったのだろう。この休憩所の歴史とお接待の有難い気持ちを感じられる。先程の女性が健康ドリンクとパックに入ったお茶を出してくれた。有り難く頂きながら女性と雑談する。どうやらこの休憩所は、女性の父親が歩き遍路の人の為に作りご接待していたのを引き継いだ様だ。本人はまだ88ヶ所を巡礼した事が無く、近くのお寺しか知らないそうだ。それでも歩き遍路している方を見ると凄いと感心すると言っていた。コロナ前は宿泊も出来たのだが、今は休憩だけにしているそうだ。

16:47女性にお礼を言って出発する。暫く旧街道を歩き延命寺を目指す。だんだん日が落ちて来て暗くなり始めた頃、やっと延命寺が見えて来た。

17:46延命寺横の公園に到着する。四阿の下には既に先客のテントが張られていた。他にテントを張れそうな場所を物色していたら、テントから出てきたのは、先日来会っている野宿スタイルの方だった。挨拶をし、私もここでテント泊する事を伝え四阿の横の松の木下にテントを張る事にした。土の上に落ち葉が乗っておりふかふかで気持ちいいし、上には屋根は無いが綺麗に剪定された松の枝が何層にもあるので夜露も大丈夫そうだ。

明日は早起きして第六十六番雲辺寺迄行きたいなぁ〜。

 

本日の歩行距離  35.2km(48,582歩)

お参りした札所  第六十二番宝寿時、六十三番吉祥寺、六十四番前神寺

 

遍路35日目 第六十番横峰寺、第六十一番香園寺

2022年10月21日(金) 天気 晴

今日は5時半頃目覚める。昨夜は気温が下がった様だがテントの中は意外と暖かった。四阿の横のスペースを使用した形跡は無かったが、道の駅の駐車場は車中泊の車でかなり埋まっていた。素早くテントを撤収し出発の準備をする。今日は愛媛県最大の難所である第六十番横峰寺に向かう為、少しでも早く歩き始めたいからだ。

5:43道の駅を出発する。国道196号線を暫く歩き右に折れ踏切を渡って遍路道を行く。遍路道と言っても山道ではなく旧街道だ。旧市街地を通って行くのでコンビニは無い。どこかで朝飯を食べたいと思いながら街中を歩いていると、カロリーメイトを売っている自販機があった。早速購入し、道端に座り込んで同じく自販機で買ったホットココアとで簡単な朝食とした。

7:52道端にポニーがいる。近寄ると寄って来てくれる。軽く頭や顔を撫で一緒に写真を撮る。朝から癒された。その後も民家や農地の間を抜け遍路道の案内がある。ちょっと道を変更しコンビニに行く事にした。

8:37ミニストップに到着。イートインコーナーで改めて朝飯を食べ、水分補給と昼飯用の携行食を買う。9:11朝飯を食べ元気になって出発。また暫く旧道を歩き横峰寺を目指す。

10:36休憩小屋があったので休憩する。小屋の中に以前見た標準の歩き遍路の行程図が貼ってあった。45日ペースだと横峰寺は34日目の行程だ。今日は休養日を入れ35日目だから2日分追いついた事になる。この先、香川県に入り、観音寺市丸亀市あたりで休養日を作っても良いなぁ〜と思う。

休憩していたら地元のおばあちゃんが来て、「猿が栗を散らかして墓の周りを掃除せんといかん」とぼやきながら話しかけて来た。「どこか来たん?」と聞かれたので、「福岡です」と答えたら、何か納得した様に頷き歩いて行った。なんだったのだろう?

10:44休憩小屋を出発。先ほどから、道はジワジワ登っている。小屋の先は本格的に山に入って行く道の感じで勾配も少し急になり始めた。

11:20急に小さな集落があり、神社の前で地元の方が作業していた。「歩き遍路大変じゃね〜、昨日この先の休憩所でドイツ人の女性がテント張って泊まってたよ。あんたもその荷物はテントで野宿するんじゃろ?朝晩冷えるから風邪ひかん様にね」と激励された。「休憩所から横峰さんまでは、ワシらの足で1時間じゃから、あんたはワシらより足が強そうじゃけんもうちょっと早いかもね」と言われた。ここでもドイツ人の女性遍路の話が出てきて驚いた。「ここから休憩所まで20分くらいだから、頑張って上がってな〜」と言われたので、お礼を言って歩き始めた。

11:38休憩所に到着する。ここはトイレもあり水場になっている。地元の方も車できて水を汲んでいた。私も休憩がてら水を補給しこの先の山道へ挑む事にする。ここの休憩小屋は中にテントを張るスペースがあり野宿にはぴったりだ。

11:50休憩所を出発する。ここから横峰寺までは。2.2kmの山道だ。気合いを入れ直し山道に入る。最初の1Kmはそんなに勾配もキツくなく順調に進んで行く。100m毎に看板があり確実に登っている事が感じられる。残り1kmくらいから山道は険しくなり汗が噴き出してくる。道は綺麗に整備されてあり歩きやすいはずだけど、階段状になっている所など太腿が悲鳴をあげている。ちょくちょく水分補給しながら、後〇〇mの看板を確認しながら登っていく。

12:58山門前に到着。ここから境内に向かうと、夜は宿泊できる休憩所があり、納経所の建物がある。本堂は納経所から石段を上がった上だ。納経所の前のベンチに荷物を下ろしていると、車で来た男性遍路さん2人が納経所から出てきた。私が歩いて上がって来たことを確認して、「駐車場から歩くだけでも大変なのに、下から歩かれたのは凄い」といろいろ話しかけてきた。私の背中から湯気が上がっているのがわかる。私が福岡市から来たと伝えると、その2人のうち1人は小郡市から来ているそうだ。もう1人は四国の方でその人の車で回っているそうだ。

納経所の前で2人と別れ石段を上がりお参りをし納経所に降りて行く。御朱印を頂き次の第六十一番香園寺への道を教えて頂く。記念の手ぬぐいを買って納経所を出る。納経所の前のベンチで朝コンビニで買った携行食を昼飯に食べ、13:17横峰寺を出発する。

この時間なら、次の六十一番香園寺に間に合うな。今日の宿は、六十二番宝寿時の近くだから、香園寺を打ち終われば明日が楽だ。車道から山道に変わり急勾配を降りて行く。標高750mくらいから一気に400mくらいまで下りると、尾根道を暫く登ったり下ったりしながら山を越えて行く。香園寺奥の院迄後〇〇kmの看板を通り越しながら歩き続ける。

15:16展望台入口と書かれた所に休憩所があったので休憩する。新しく買った靴は、グリップが良く滑らないが、自分が跳ね上げた小石やゴミが靴の中に入りしょっちゅう止まって靴の中に入った異物を出さないといけない。異物を出さないと足の裏が痛くなりマメが出来てしまうので、面倒だがこの作業は必須だ。まあ、完璧な靴はないって言う事だ。

15:24休憩所を出発する。暫くすると舗装路に出る。16:02香園寺迄2.5kmの看板がある。急がないと納経所が閉まってしまうので、少しペースを上げて歩く。香園寺奥の院はパスして先を急ぐ。

16:37香園寺に到着する。境内に昨日も出会った野宿遍路の男性がいた。お参りを終え出て行く所だったので、挨拶して別れる。お参りを先にすると時間が無いので、納経所に行き御朱印を頂きゆっくり本堂へ上がりお参りをする。ここは、鉄筋コンクリート造りの一見体育館の様な本堂だ。横の階段から2階に上がり金ピカのご本尊(大日如来像)を拝観する。

16:55香園寺を出発する。今日の宿迄は、15分程度だが、晩御飯の準備もあるだろうから、一応電話して到着予定時間を連絡する。

17:12宿に到着。チェックインしてお風呂の順番待ちをする。夕食が18時からなのでそれまでに入りたい。と思っていたら直ぐに順番が来て入浴出来た。

夕食は、しゃぶしゃぶだった。たっぷりのお肉と野菜を堪能し洗濯も済ませいつの間にか寝落ちしていた。今日も良く歩いたから疲れたんだろう。

 

本日の歩行距離  37.0km(53,417歩)

お参りした札所  第六十番横峰寺、六十一番香園寺

 

 

 

遍路34日目 第五十四番延命寺、五十五番南光坊、五十六番泰山寺、五十七番栄福寺、五十八番仙遊寺、五十九番国分寺

2022年10月20日(木) 天気 晴

朝5時30分頃目覚める。今日は今治市内の6ヶ所の札所を打ち、湯ノ浦温泉に浸かり、その下の道の駅で野宿する予定だ。五十八番の仙遊寺がちょっと山寺の為余裕を持って前半の札所を打ち終えたい。

荷物を纏め部屋に設置してあった掃除機で床を掃除する。ゴキブリの子供が一匹死んでいた。昨夜撒いた殺虫剤の効果なのか。とすればこの殺虫剤は素晴らしい。家に帰っても使ってみよう。

6:10青木地蔵の通夜堂を出発する。ここから第五十四番延命寺迄は国道196号線に沿って旧道と国道を出入りしながら進んでいく。途中何度か休憩をとりながら歩き、9:03延命寺の山門前に着く。参拝を済まし御朱印を頂き9:22に出発する。次の第五十五番南光坊迄は3.4Kmなので1時間くらいか。墓地の中を抜け民家の間、畑や田圃の中を通り歩いていると、道端に可愛い子猫が。寒い為か日向でじっとして動かない。近寄って写真を撮っても逃げる素振りは無いが、懐かれても困るのでちょっとだけ癒されてその場を離れて行った。

10:09南光坊に到着。遍路道で来るとお寺の裏から入る様になる為、仁王門を潜れない。改めて仁王門側に戻り荷物を下ろし参拝する。休憩していた地元のおじさんが、「昨日、ドイツ人の女性があんたみたいな大きな荷物を背負って来たよ。昨日はこの後仙遊寺の通夜堂に泊まるって言ってたよ。」と話しかけてきた。昨日くらいからそのドイツ人女性の話が聞こえてくる。テント持参で野宿スタイルで回っているようだ。日本語が喋れるそうなので、日本に滞在している方かもしれない。もし会う事があればいろいろ情報交換してみたい。

10:26参拝後、御朱印を頂き南光坊を出発する。次の第五十六番泰山寺へ行くには、今治駅の横を通過して行く。丁度駅前のロータリーを抜けた所で、車から降りて来た女性に呼び止められた。「歩き遍路お疲れ様です。休憩の時にでも食べてください。」と、みかんを2個頂いた。ありがたい。みかんは愛媛県に来てあちこちで売っているが、一袋に10個くらい入っているので買うのを躊躇っていた。丁寧にお礼を言ってありがたく頂いた。

11:07泰山寺に到着。参拝し御朱印を頂き、納経所の横で少し休憩する。先ほど頂いたみかんとカロリーメイトの昼食だ。

食べ終わったので、11:31出発する。次は第五十七番栄福寺。ここから3.1Km1時間くらいで着くだろう。街中の旧道を抜け川を渡った先だ。川を渡る手前に遍路小屋があったが、休憩せずに通り過ぎていく。栄福寺の入り口で以前あった野宿スタイルの歩き遍路男性に会う。この先遍路道が工事中で迂回路を通るのだが、その地図が分かりづらいと愚痴っていた。挨拶をして一旦別れる。そこから本堂まではちょっとした上り坂だが、100mもないので一気に上がる。

12:11栄福寺に到着。参拝し御朱印を頂く。納経所の女性が、歩き遍路の道が工事中で迂回になることを説明してくれ、コピーされた地図を1枚渡してくれた。それを持って栄福寺を出て行った。道沿いには工事中迂回路の看板もあり頂いた地図は手がきの説明が入っており迷う事なく次の第五十八番仙遊寺に向かって行ける。仙遊寺は標高250mくらいの所にあるので、ここから200mくらいは上がらないといけない。登り坂を歩いていると工事中の迂回路を無視して行き止まりになった所から迂回路に出て来たような男性の歩き遍路の方に追いついた。初めて会う方だったので、簡単に挨拶し道がよくわからない様な感じだったので、簡単に教えて先に進んだ。12:49迂回路から遍路道に戻った所に遍路小屋があったが、ここも休憩せず通り過ぎる。

13:05第五十九番国分寺への遍路道の入り口を通過する。ここには休憩所があり東屋の下にはテントが張れるスペースもある。13:06車道と遍路道の分岐点に到着。山門を抜け上がって行くのだが、山門では迫力ある仁王像が出迎えてくれる。山道と言っても石段だが、手すりもしっかり付いていて上り易い。13:16本堂前に到着。ここから今治の町が見下ろせる。この角度だとしまなみ海道の橋はみえないが、街の向こうには瀬戸内海と島々が見渡せて綺麗だ。南光坊で会った野宿遍路の方と参拝後話をしていたら先ほど追い越した歩き遍路の男性が息を切らして上がってきた。もう1人の野宿遍路の方とは顔見知りの様だったので、私は先に第五十九番国分寺に向かう事にした。13:38仙遊寺を出て車道を下って行く。途中本堂前の展望と違う角度の展望場所があったので、写真を撮る。ここからはしまなみ海道の橋も見える。

先ほど通過した国分寺への分岐点を通過し、山道に入る。綺麗に整備された山道だが、下り坂は足(膝と太腿)にくる。転ばない様慎重に降りていくが、新しい靴が滑らないので安心できる。14:05アスファルトの道にでる。ここから暫くはアスファルト道を下って行き街中を通過して国分寺に着く。休憩せず一気に歩き、15:15国分寺に到着する。参拝を終え御朱印を頂き15:42国分寺を出発する。本日予定していた札所はこれで全部回れた。ここから約1時間歩けば湯ノ浦温泉に行ける。仙遊寺から一気に歩いて来たので少し疲れてはいるが、ゆっくり温泉に浸かりたいので、街中の旧道から国道196号線沿いに出て、湯ノ浦温泉を目指す。

16:59湯ノ浦温泉に到着。レストランのラストオーダーに間に合わなかったので、温泉に浸かるだけだ。施設内にコインランドリーもなく洗濯物は溜まっていく。明日あたりは宿を取って洗濯をしないと着る服がないな。

ゆったり温泉に浸かり17:42湯ノ浦温泉を出発。直ぐ下の道の駅今治湯ノ浦温泉で野宿する為下まで降りる。近いので、湯冷めする前に到着する。ここはテントが2張り張れるスペースの東屋があり、そこにテントを張り寝床の準備をする。仙遊寺で別れた野宿遍路の方は湯ノ浦では明日が大変なのでもう少し先まで行って野宿すると言っていたが、どうなんだろう。朝起きてみればわかるかな。

 

本日の歩行距離  38.1Km(51,719歩)

お参りした札所  第五十四番延命寺、五十五番南光坊、五十六番泰山寺、五十七番栄福寺、五十八番仙遊寺、五十九番国分寺

 

 

遍路33日目 第五十二番太山寺、五十三番円明寺

2022年10月19日 天気 晴

朝6時過ぎに起き、一人で昨夜買った朝食を食べ出発の準備をする。7時に自動で照明が付き明るくなった。同室の2人はまだ寝ているみたいなので静かに支度をして部屋を出る。

7:08ゲストハウスを出発。道後温泉本館前から別館前を通り次の第五十三番太山寺に向かう。道後温泉から出ると高台の住宅地を越え歩いていく。暫くすると民家が途切れ出し田圃の間の道になる。松山市内もこの辺りは田舎感のある所だ。

9:27太山寺一の門を通過する。9:30山門間に到着。ここから本堂までは350Mの看板がある。この先は急な坂道だ。手前の納経所に行き荷物を預け空荷になって本堂に向かう。朝で元気なのと、空荷で元気なのとで足が軽い。昨日買い替えた靴もなんとなく調子がいい。本堂前の石段を一気に上がり9:42仁王門に着く。ここ太山寺の本堂は国宝で、仁王門は国指定重要文化財だ。境内に入ると大きな本堂に見惚れてしまう。鎌倉時代1305年に建てられた立派な建物だ。参拝しながらも、木組の美しさに圧倒される。

ここで先日四十四番大宝寺であったご夫婦に出会う。岩屋寺の事や、お互い久万高原からの下り坂がたいへんだった事などを話した。この後お二人は六十五番三角寺まで打って徳島に帰るそうだ。寺間の距離が長い所はバスや列車で移動しているので、ずっと歩いている私の事を凄く持ち上げてくれるので、ちょっと照れ臭かった。

参拝を終え納経所に戻り御朱印を頂き、10:13太山寺を出発する。次の第五十三番円明寺迄は2.5kmなので、11時前には着きそうだ。第五十四番延命寺は今日中には行けないので、円明寺を打った後何処まで歩いて行けるかで、明日の宿泊場所も変わって来そうだ。

10:42円明寺に到着。参拝を終え納経所に行き御朱印を頂き帰る前に、キリシタン灯ろうを見に行く。境内の隅に高さ40cmの合掌するマリア像が刻まれた十字架型灯篭だ。歴史あるこのお寺にあるのも日本の宗教に対する懐の広さを表しているのだろうか?

11:05円明寺を出発。ここからはひたすら延命寺方面に向かって歩く。国道196号線に沿って旧道や国道を行ったり来たりしながら今治市方面を目指す。途中から瀬戸内海が見え始める。穏やかな海だが、あちこちに大型の船舶が見える。貨物船、タンカーなど、瀬戸内の工業地帯を行き交う船だ。紀伊水道、太平洋、宇和島海、最後が瀬戸内海だ。何となくこの遍路の旅の終りが近づいているのが感じられる。

昼飯時になった。列車を改造したようなお洒落なレストランがあったので、そこで昼食を食べる。食べ終わったあと、お遍路さんに伊予柑ジュースのサービスです。とよく冷えたジュースを頂いた。少し酸っぱさが有るが果汁100%の様でとても美味しかった。

12:31お腹いっぱいになって店を出る。またひたすら歩くが、風が出て来た様で、笠が飛ばされる。しっかり顎の下で止めて歩いていくが、笠の耐久性は大丈夫なのか心配になってくる。

15:12鎌大師の前を通過し急な上り坂に入る。舗装された道なので歩き易いが流石に息が切れてくる。15:30峠の見晴らしの良いところに休憩所があったので休憩する。遠くにしまなみ海道の橋が見える絶景だ。それだけの高台に上がったご褒美だ。

15:53休憩所を出て峠を下る。また国道196号線沿いの道を歩く。このペースだと日暮れ頃には青木地蔵の通夜堂行けそうだ。もし通夜堂が閉鎖されていたら、近くの公園でテントを張れば良い。そう思いながらひたすら歩く。新品の靴も馴染んできた様で歩きやすくなった。

17:01国道沿いの店の、池内園芸の隣にある大判焼き屋に行く。おばちゃんに大判焼きを2個頼んだら200円との事。粒餡いっぱいの大判焼きをくれた。「今日はどこまで行くの?」と聞かれたので、「青木地蔵の通夜堂を目指しているんですが、コロナで他の通夜堂や善根宿など閉鎖している所が多いのでちょっと心配なんです。」と答えたら、「あそこは多分やってるから大丈夫だよ。丁度日暮れくらいになるだろうね。太陽石油を過ぎてすぐ左の山の方に行けば見えるよ。入口にお寺の電話番号が書いてあるからそこに電話すれば良いみたいだよ。」と教えてくれた。お礼を言って大判焼きを食べながら向かう事にした。

17:57太陽石油の製油所が見えてきた所に青木杖大師まであと1kmの看板が。日暮れには間に合わなかったが許容範囲だろう。

18:05太陽石油の製油所の前を通過し青木大師左の表示が。進むと直ぐに通夜堂と大師堂が見えた。通夜堂の入口にこの施設の使用方法と連絡先の電話番号が書かれていた。早速電話し一晩お借りすることが出来た。中は結構広く10人以上が宿泊できそうだ。板張りの床が冷たくひんやりとするが隙間風は入ってこない。太陽石油の製油所の灯りと工場の音が聞こえるが全く問題ない。早速殺虫剤を撒き寝る準備に入る。

 

本日の歩行距離  37.8km(50,823歩)

お参りした札所  第五十三番太山寺、五十四番円明寺